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香木・伽羅・沈香
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古渡というのは,終戦前後に渡来または出回った香木群を指す言葉で、この時期からベトナム戦争前後までは他国にライバルはおらず歴史上稀に見る最高峰の香木が日本にやってきました。この時代の伽羅は古渡伽羅といっても良いでしょう。
 
古渡伽羅
これらの伽羅は緑油伽羅と紫油伽羅の中間のような、見ため香りを持った伽羅が見られ
経年変化から沈香のような見た目になっている物も見られます。
香りは聞香した人のみがご自身で鑑賞しなければなりませんが、現行の伽羅とは異なる。特異な感度の高い、感動的で魅惑的な香りがします。
この時代(大正末~S30年ごろ)の究極の香木群とこの時代の同期の伽羅こそが歴史的名香を除く伽羅の最高の物だと考えています。
 
古渡沈香
戦前期多くみられる(真盤・真南蠻)という金箔が張られた大きな沈香
この真南蠻が曲者で最高品質の真南蛮の場合もある模様ですが、
古美術商で売られている大半は中抜きフェイクの模様です。
(熊谷)鳩居堂などの塗箱に入っていても用心です。
戦前期の香木は意外と低品質な物が圧倒的に多い模様です。
(カスが大半で良い物は各段に良い)
江戸期になるとこんどは香木の品質が別方向に変わってきます。
 
昭和30~50年代香木の高品質の香木軍団は来日します。
特に1970年代にベトナム戦争終戦後の混乱時期にベトナム国内に有った
最高品質の香木が日本に来日しています。
香木の最大の消費地、湾岸諸国と中華人民共和国は鎖国状態のため
香港には良質な香木が有り余っており
当時お金が一番あった日本の香舗が買い占めました。
現在でも中華圏では越中部産の緑奇(緑油伽羅)は日本にしかないと信じているようです。日本の寺院が最大の産地というのは事実のようですが。
香港までが、どのような経路で来日したかは不明ですが、現在のカンボジア沈香がタイ王国に脱出し、中東に向かうのと同じ原理でしょうか。

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